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佐藤浩市は父と不仲で確執が?三國連太郎との関係

      2017/02/05

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ドラマや映画で大活躍の佐藤浩市さん。

2016年5月公開予定の映画「64-ロクヨン-(前編)」の完成披露試写会が3月7日に行われました。

4300人を前に上映され、上映終了後にはスタンディングオベーションが起こったそうです。

「本当にありがとうございます。感動しております。

歳を取ってるものだから、涙腺が弱くて……」

と目を潤ませたそうです。

 

 

佐藤浩市さんは俳優・三國連太郎さんの息子ですね。

複雑な家庭環境、親子での確執があったようです。

調べてみました。

 

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佐藤浩市、父・三國連太郎との不仲・確執

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三國連太郎さんは、 2013年4月14日に90歳で亡くなりました。

生前は結婚を4回、離婚を3回しました。

1957年、3度目の結婚をした妻との子供が佐藤浩市さんです。

1960年、佐藤浩市さんが生まれました。

しかし小学6年生の頃、佐藤浩市さんと妻を置いて家を出て行ってしまいました。

もうそれっきりで、次に会うのは俳優になる頃だったそうです。

 

佐藤浩市・三國連太郎の親子共演を果たすも…

1980年に佐藤浩市さんは俳優デビューするも

仕事上では接点がほとんどなかったそうです。

 

1986年公開の映画「人間の約束」初共演。

しかしこの作品では、2人が直接関わりあうシーンはほとんどありませんでした。

 

1996年公開の映画「美味しんぼ」で共演。

この作品では共演シーンも多く、製作会見も一緒に出ましたが…

 

製作会見ではお互いを「三國さん」「佐藤くん」と苗字で呼び合い、

親子とは思えないような態度だったそうです。

 

「俳優はサービス業」

という佐藤浩市さんの発言に対し

「サービス業などという考え方は間違っている」

と三國連太郎さんは答えたそうです。

共演の羽田美智子さんも困ってしまい

会場には険悪な空気が流れていたそうです…。

 

父・三國連太郎の死後

三國連太郎さんは、2013年4月14日に急性腎不全で亡くなりました。

 

その後佐藤浩市さんは

「僕と彼の間に介在したのは役者という言葉だけ」

と親子の確執はずっとあったという言い方をしつつも

「本当に役者として生きたんだなと思いました。
孤高さを守り、芝居に関わってきた。
親父の顔を見た時、そのことを感じました」

「ひどい父親だったが、それ以上に僕に残してもらったものがある。
僕がここに立って、やりたいと思える芝居をやれるのは、三國連太郎という人がいたから」

と、話しました。

親子としての関係は希薄だったものの

役者としての生き方を認め、敬意を表しました。

 

 

佐藤浩市さんは「役者になる」と言った時

三國連太郎さんは「そうか」の一言だけだったと語りました。

 

しかし、三國連太郎さんは生前、

「役者になる」と言った佐藤浩市さんに対して

「『おやりになるなら親子の縁を切りましょう』
と言いました。俳優という仕事に関して何かの支えになる自信が無かったのです」

と語っています。

 

これは親子で話が違いますね。

 

素っ気ない態度を取っただけで、実際は色々と考えていたのかもしれませんね。

実際はどうだったのかは分かりませんが…。

 

三國連太郎の遺言

「戒名はいらない」
「散骨して誰にも知らせるな」
「三國連太郎のままで逝く」

というような内容の遺言があったそうです。

 

実際に戒名でも本名の佐藤政雄でもなく、三國連太郎として密葬形式で行われました。

ただし、散骨に関しては遺言に背きました。

当初は散骨のつもりでしたが、佐藤浩市さんの強い意向により、納骨となりました。

・親子として最後にできることをした

・父親を1人にしたくなかった

・自分の母が父と同じ墓に入ることもできるようにした

というようなことが考えられます。

 

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